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あなたは聞いたことがあるか!世界最大のスラム街「九龍城砦」では何が起きている—その真実と伝説

世界最大のスラム街「九龍城砦」—その真実と伝説

かつて香港に存在した「九龍城砦(クーロンジョウサイ)」は、人類史上最大の違法建築物として知られています。その歴史や独特な建築、そしてその終焉は、今日でも多くの人々の関心を引きつけています。今回は、この巨大スラム街について詳しく掘り下げていきましょう。

九龍城砦の起源—軍事拠点から無法地帯へ

九龍城砦は、もともとは中国の軍事拠点として19世紀に建設されました。しかし、1940年代後半から1950年代にかけて、香港がイギリスの植民地であった時代、中国本土から多くの難民が押し寄せ、この地域に違法に居住し始めました。

九龍城砦の存在は、イギリスと中国の間の曖昧な領土問題に起因していました。香港は当時イギリスの支配下にありましたが、九龍城砦は名目上、中国の領土とされていました。そのため、この小さな地域はどちらの国の法も及ばず、結果として無法地帯となり、違法建築や犯罪が横行する場所へと変貌していったのです。

建築のカオス—迷宮のようなスラム街

九龍城砦は、その建築物の複雑さでも知られています。当初、建物の高さ制限は3階までとされていましたが、住民たちは法の目をかいくぐりながら、次々と階数を増やし続けました。最終的には、建物の高さは14階、もしくは45メートルまでに達しました。この高さ制限は、近くにある啓徳空港(かつて香港の国際空港)が離着陸する飛行機との接触を避けるためのものでしたが、実際には飛行機がすれすれで飛行するほど危険な状況だったといいます。

敷地面積はわずか2.6ヘクタール(約26,000平方メートル)という限られたスペースにもかかわらず、最盛期には約3万3,000人がこのスラム街に押し寄せ、人口密度はニューヨークの約119倍にも達したとされています。建物は狭い通路や急な階段でつながれており、まるで巨大な迷路のような構造を持っていました。さらに、建物の隙間はほとんどなく、天井には電線が無数に走り、自然光はほとんど差し込まないため、昼夜を問わず薄暗い雰囲気が漂っていたのです。

無法地帯の日常生活

九龍城砦では、犯罪が日常的に行われていました。違法な商売が盛んに行われ、麻薬取引や売春、ギャンブルが横行していたと言われています。特にアヘンなどの違法薬物の取引は非常に活発で、警察が介入することは少なく、介入があったとしても深刻な事件に限られていました。

一方で、住民たちはこの厳しい環境の中で生活を営み、互いに助け合いながら強固なコミュニティを形成していました。自警団が結成され、スラム街内の治安を守る役割を果たし、さらに幼稚園や小学校、老人ホームなどの公共施設も設立されていました。意外にも、この混沌とした場所で、住民たちは独自の秩序を保ちながら生活していたのです。

九龍城砦の歯科医—意外な産業

九龍城砦のもう一つの興味深い側面は、その中に存在した歯科医療サービスです。低価格で治療を受けられることから、労働者階級の市民がこぞって訪れる場所となっていました。これもまた、混沌としたスラム街の中に意外な機能が存在していた証です。

九龍城砦の終焉—取り壊しとその後

この無法地帯は、最終的には香港政府によって1993年に取り壊されることとなりました。長年にわたる不衛生な環境や治安の悪化が問題視され、政府は強制的に住民を移住させました。この取り壊しは、住民にとっては生活基盤を失う大きな出来事であり、九龍城砦という強固なコミュニティは解体されました。

現在、九龍城砦があった場所には「九龍寨城公園(クーロンザイジョウコウエン)」が広がっています。この公園は、かつての九龍城砦の歴史を伝えるために一部の構造が再現されており、訪れる人々にその当時の雰囲気を感じさせる場所となっています。

九龍城砦が残したもの

九龍城砦が存在したのは約30年余りでしたが、その異質な存在感は今でも多くの人々の記憶に残っています。映画やテレビゲーム、アート作品などに影響を与え、その特異な建築物や社会的状況は、時代を超えて語り継がれています。スラム街のリアルな生活や、芸術的な建物の構造に魅了されたファンも多く、九龍城砦に住んでみたかった、あるいはその混沌を目にしたかったという声も少なくありません。

また、九龍城砦が取り壊されたことで、香港の歴史や社会構造に対する関心が高まり、今日の都市開発や法の運用についても多くの議論がなされています。九龍城砦は単なるスラム街にとどまらず、都市の発展と住民の生活がいかに密接に結びついているかを象徴する存在でした。

結論—九龍城砦が教えてくれるもの

九龍城砦は、法が及ばない無法地帯でありながら、その中で住民たちは助け合いながら生活していました。建築的にはカオスであり、犯罪が横行していた一方で、住民の強固なコミュニティや互助の精神が見られたのです。このスラム街の存在は、都市が抱える社会的な問題や法の限界を象徴しています。そして、その取り壊しから30年経った今でも、九龍城砦の物語は多くの人々に影響を与え続けているのです。