Gacktがフランスで人種差別を経験したという話を聞いて、海外でのアジア人としての差別について考えさせられます。実際、多くの日本人やアジア人が、海外での滞在中にさまざまな形で人種差別に直面することがあります。海外に長く住んでいたり、頻繁に訪れている著名人や芸能人も、その経験を語ることがあります。
例えば、岡田准一さんも自身がフロリダにいた際に、人種差別に近い状況に直面したエピソードを語っています。彼は1980年代初頭のフロリダを訪れた際、プールやビーチで黒人男性が全くいないことに驚いたと述べています。当時のアメリカでは、表向きには人種差別がないことになっていたものの、黒人や東洋人に対する見えない壁や微妙な違和感を感じたと言います。これは、アジア人としての彼自身が肌で感じた無言の圧力だったのかもしれません。
岡田准一の体験: 表面化しない人種差別
岡田さんが語ったのは、1981年頃のフロリダのプールやビーチにおいて、黒人男性の姿が全く見られなかったという驚きです。黒人女性はいたものの、黒人男性が全くいないという事実に、社会の表面上では人種差別がないとされているアメリカでも、根深い偏見や無意識の排除が存在することを感じ取ったのです。
この体験は、アジア人や黒人が特定の場所で「歓迎されない」という状況が、明確なルールや看板がなくても起こり得ることを示しています。岡田さんは「ホワイトオンリー」と書かれた看板がなくても、プールやビーチにおける「変な視線」や無言のプレッシャーが存在することを述べています。特に1980年代のアメリカでは、人種間の隔たりがまだ色濃く残っており、岡田さんはその違和感を強く感じたといいます。
人種差別の表面的な「不在」と個人の偏見
岡田さんは、アメリカの社会が表向きには人種差別をなくそうとしていると感じながらも、個人レベルでの偏見が残っていることに気づきます。彼は、履歴書で性別や年齢を記載しない企業文化や、採用の際に建前として差別がないとされているシステムを例に挙げています。しかし、実際には採用担当者が内心では偏見を抱いていることもあると指摘します。このように、社会的には差別が表向きには存在しないものの、個人レベルでの無意識の差別がまだ存在していることを岡田さんは鋭く見抜いています。
フランスと人種差別の歴史
一方で、岡田さんはフランスについては比較的良い印象を持っているようです。彼がフランスで感じたのは、歴史的にムーア人と呼ばれる褐色や黒い肌の人々が社会の一部として受け入れられていたという事実です。彼はシェイクスピアの『オセロ』を引き合いに出し、オセロが黒人であるという描写があることを挙げています。ムーア人は、エジプトやアフリカ北部からヨーロッパにやってきた民族であり、褐色の肌を持つ彼らが歴史的にフランス社会に存在していたことは、フランスにおける人種差別が他国と比較して少なかった理由の一つかもしれません。
しかし、最近のフランスにおいては、特に移民やイスラム教徒に対する差別が報告されており、Gacktが経験したような出来事が起こることもあります。岡田さんがかつて抱いていた「フランスでは人種差別がない」という印象は、時代の変化とともに揺らいでいるのかもしれません。
キリストの肌の色について
岡田さんはさらに、キリスト教に関する興味深い視点を提示しています。彼は「キリストは黒人ではないか」という話題を持ち出し、キリストの生まれた地域を考えると、一般的な白人のイメージとは異なる茶褐色の肌を持っていた可能性が高いと述べています。これに対して驚く人々も多いようですが、彼の指摘は、歴史的な人物像に対する我々の先入観や偏見を考え直すきっかけを提供しています。
岡田さんが言及した「ファティマの予言」によると、キリストの肌の色についても記述があり、これに基づいて彼は、キリストが現代の一般的なイメージとは異なる茶褐色の肌を持っていた可能性が高いと考えています。これは宗教的な象徴が、時代や文化によってどのように歪められてきたかを示唆するものです。
まとめ
Gacktや岡田准一のような日本人芸能人が海外での経験を語る中で、人種差別というテーマは避けて通れない話題です。アジア人として、または他のマイノリティとして、どのように社会から見られるか、どのように対処すべきかは、多くの日本人が共感できる問題でしょう。
岡田さんの経験からは、表面上は差別がないとされている社会でも、個人の偏見や無意識の差別が依然として存在することがわかります。また、時代とともに人種間の隔たりが縮まりつつある一方で、依然として残る課題も見えてきます。フランスやアメリカの事例を通して、私たちは人種差別の複雑さとその根深さについて考える必要があるのです。